わらばーぶろぐ

 訪問していただきありがとうございます  日々思ったことを書き連ねていきたいと思います

いじめられている子どもたちへ

いじめについて思うこと

 プロフィールを変更しました。

 プロフィールからいじめについて抜粋し記事にしました。 

 (応援している人)
・ いじめられている子ども、大人

(嫌いなこと)
・ いじめ(子供も大人もすべてのいじめ)

 立場、上下関係、容姿、病気、家庭環境、性別など関係なく相手をリスペクトして対等の立場として接するべきだと思います。
 私の方が勉強ができる、運動神経が良い、人気がある、友達、仲間が多い、良い学校を出てる、良い職業に就いてる、裕福である、良い家に住んでいる、親が偉い、先に生まれたなどなどなど、心の中に生じる奢りや上下意識があると必然的にいじめが生じると言うか相手に伝わるものだと思います。


 (いじめられている人に伝えたいこと)

 大人のいじめは複雑です。職場のいじめの場合は、お金(給料)の問題が絡んできます。
 立場、上下関係が絡んできます。
 我慢できない、耐えられない場合は逃げる(退職)しか方法がないかもしれません。

 子供、学校のいじめでまず知っていただきたいことは、いじめられている人は何も悪くないということです。
 あなたが何か悪いから、悪いことをしたからいじめられている訳ではありません。
 仮にそうであっても、原因は重要ではなく、現在あなたが害を与えられている、被害を受けていることが重要です。
 上に書いた、いじめをしてくる相手の心の中の奢りや自分に味方するだろう仲間が多いという意識、優越感でいじめが生じます。
 子供、学校のいじめの場合は黙っていじめられるだけではなく、戦うべきです。戦えない場合は逃げるべきです。
 どう戦うか?
 いじめてくる相手全員に言うのです。「そういうことはやめてくれ」、「やめてください」もしくは、まだ心に余裕があるなら、あなたが強いなら「いじめたいなら、やったらいい。でも、僕は(私は)負けへんからな!」と。
 相手は、自分がやっていることがいじめと気が付いていない場合があります。そう言われることによって、いじめと気が付いて反省してやめる場合があります。
 それでも、相手がやめない場合は、相手はいじめとわかってやっていることになります。
 親や先生などに伝えるときに、「やめてくれ」と頼んだのにやめなかったと伝えてください。
 相手全員に意思表示をしたり戦う姿勢を見せていると、他の誰かが影ながら応援してくれるかもしれません。応援の言葉をかけてくるかもしれません。
 耐えられない場合、性格的に戦えない場合は、親や先生などの大人に相談してください。
 自分では一人ですべてできると思っていても、学生であるあなたは子供です。親に相談するのは当然のことです。はずかしいことではありません。
 問題が解決しない場合は、環境を替えてください。転校してください。
 長い人生、逃げるが勝ちということもあります。 
 逃げるということは悪いことではありません。理不尽ないじめから逃げることは単なる選択肢のひとつです。 
 やめてくれと言ってもやめない、いじめと自覚して行っている相手には肉体的もしくは精神的被害を受けているとして訴訟をおこして損害賠償を請求したり、同じく肉体的もしくは精神的被害を受けていると言って警察に相談するのも一考だと思います。
 親を悲しませる自殺だけは絶対にしないでください。

いじめられている子どもたちへ 最終話

 同じ年齢の人がたくさん集まる場所というのは学校ぐらいしかありません。
 
 小学校なら6年間。
 
 中学校、高校なら3年間。
 
 卒業してしまえば、同じ学校にいた人と会う機会はほとんどありません。
 
 卒業してからは、自分の身近に同じ年齢の人が何十人、何百人もいるという環境はあまりありません。
 
 
 いじめをしていない人はどうでしょう、または自分はいじめはしていないと思っている人はどうでしょう。
 いわゆる傍観者の立場の人です。

 その人たちが何もしてくれないからといって攻めてはいけません。何をすれば良いのかわからないのです。

 そういう人たちはいじめられている人と話す機会があったとき、上から目線で話すことがよくあります。

 おそらくその人の物差しで「この人はいじめられているから自分より下である」、「私は知らないけど、この人は何か悪いことをしたからいじめられるのだろう」と無意識のうちに感じているのかもしれません。

 でも、その人が上でも、いじめられている人が下でも決してありません。
 
 対等です。

 いじめられている人と話すとき、上から目線で話していたことに気が付いた人は直すべきです。

 よく「おまえも悪いからいじめられるんや」と言う人がいます。

 言われた本人はいくら考えても自分の何が悪かったかわかりません。
 
 何も悪くないからです。何かあったとしてもほんの些細なことでしょう。
 
 「おまえも悪いからいじめられるんや」というのは何の助け言葉にもなりませんし、アドバイスにもなっていないことを知るべきです。


 あなたは我慢してくださいと言いました。
 
 あなたは二人のヒーロー(英雄)に助けられるかもしれません。
 
 ヒーローは現れず、助けられないかもしれません。
 
 多くの場合は現れていないような気がします。
 
 ただ、これからは現れるだろうことを期待しています。

 あなたは自分自身のヒーローにはなれません。
 
 あなたのヒーロー(英雄)は自分以外の人でしかなれないからです。

 しかし、あなたは自分以外の誰かのヒーローになることができるかもしれません。

 さて、私の言うヒーロー(英雄)とは?

 ひとりは「まーさん」タイプ。もうひとりは「なっかん」タイプである。
 
 「まーさん」、「なっかん」は単なるあだ名です。深く気にしないでください。

 次に述べるのはそんな「二人のヒーロー(英雄)」の話です。

 「まーさん」タイプは自分の仲良くしていた人から現れます。

 ずっと前からの知り合いが「まーさん」になることもあれば、いつの間にか自分のそばに現れて自分をいじめから救ってくれる場合もあります。

それは、クラス替えの時かもしれませんし、上の学校に変わったときかもしれません。
 
 「まーさん」はあなたのそばにいてくれます。

 ただ、そばにいてくれます。

 あなたがいじめられていることについては何も語りません。

 普通に友人として接してくれます。

 「まーさん」になるのはたいへんです。

 いじめられている人のそばにいると自分もいじめられるかもしれません。

 「まーさん」は他の友人をなくすかもしれません。

 相当な犠牲を覚悟しなくてはできません。

 ある日「まーさん」はいじめられている友人と一緒にいるときに、別の友人に呼び止められました。

 「まーさん」は友人に「ちょっと待っといてくれ」と別の友人の話を聞きに行きます。
 
 「まーさん」は別の友人との話が終わり、すぐ戻ってきました。

 「待たして悪かったな」と、別の友人に呼び止められる前とかわらない様子で歩き出しました。

 「まーさん」は別の友人にこう言われたのです。

 「おまえ、あいつと一緒にいたら、おまえもいじめられるぞ」と、「まーさん」はこう言いました。

 「知ってるよ。悪いけど用事あるし」と別の友人のもとを去りました。

 でも、「まーさん」はいつもあなたのそばにいられるわけではありません。

 学園祭の日「まーさん」はこう言いました。

 「さすがに今日はきついわ。悪いけど今日は俺、一緒におられへんわ」。

 いじめられている友人は言いました「おおそうか、またな」。

 いじめられている友人は一人で歩いて行きました。

 あなたは、わかってあげてください。

 「まーさん」も、いつもあなたのそばにいることができないことを。

 別のある日、「まーさん」は以前とは別の友人から呼び出されました。

 今回は「まーさん」の親友からです。

 いじめられている友人と一緒に遊んでいた「まーさん」はこう言いました。

 「誰々から呼び出されてるんやけど、おまえも一緒に待ち合わせ場所のそばまで行くか?」。

 待ち合わせ場所のそばまでくると「まーさん」はこう言いました。

 「俺、一人で行ってくるからちょっとここで待っといてくれ」と。

 親友との話が終わると「まーさん」は戻ってきました。

 待たされたのは数分ぐらいだったでしょうか。

 「まーさん」は言いました。

 「待たせて悪かったな」と。

 「まーさん」は親友からこう言われたのです。

 「おまえ、あいつといつも一緒にいるけど、そんなおまえといたら俺もいじめの標的にされるかもしれへん。おまえは、俺とあいつのどちらをとると言われたらどう答える?」と。

 「まーさん」はこう言いました。

 「悪いな、それやったらそれでええわ」と。

 そう言うと「まーさん」は親友のもとを去りました。

 「まーさん」はその親友だった人とその後、会うことはありませんでした。

 「まーさん」は他の友人が無くなろうが、自分もいじめられる可能性があるのがわかっていても、いじめられている友人のそばにいました。

 強い意志がないと「まーさん」にはなれません。

 いじめられている友人も助けてあげたい。

 他の友人ともつきあっていきたい。

 という中途半端な気持ちでは「まーさん」になれません。
 
 もうひとりの「なっかん」タイプはいじめている側から現れます。

 いじめの片棒を担がされていた「なっかん」は、ある日いじめグループの友人たちにこう言いました。
 
 「俺は、おまえらのやってることが気にいらへん」

 「俺はあいつのことはよう知らへんけど、まだ、いじめを続けるというんやったら俺はおまえらとのつきあいは今後やめる」

 「おまえらがいじめをやめると言っても俺は信用でけへん」

 「おまえらが蒔いたあいつの悪評は留まることしらずや、俺らの学年約400人知らんもんはおらへんどころか
他の学年にも、先生にも知れわたっとる。他校も知っとるやつがおる」

 「おまえらが蒔いた悪評を信じてるのか、そんな悪評はどうでもよくなってるのか俺にはわからへんけど、あいつをいじめるのが「正義」みたいなことになって、方々であいつに対するいじめや嫌がらせが一人歩きしとる。もう収拾がつかへん」

 「俺は、おまえらがやってることは許せん。やめると言うんやったら、おまえら別々にひとりずつあいつに謝りに行け」と。

 最終的にその「なっかん」の言葉でいじめはある意味終結した。

 いじめの中心であった3人は謝りに行った。「なっかん」に言われたとおりそれぞれの気持ちを丁寧に伝えて謝った。
 

 しかし、最後の4人目は謝りに行かず、その約半年後偶然であった時にこう言った。

 「他のやつが許しても、俺は許せへんからな。」
 
 自分たちが作り上げた悪評を信じ込んでいるのかはわからない。

 自分だけは最後まで「正義」の味方と思っているのかもしれない。
 
 映画の悪役の捨てぜりふのように聞こえる。
 
 4人目の気持ちはどうであれ数年におよぶ長いいじめは終わったという。


 「なっかん」になるのもたいへんである。
 
 よく知らない人のために、自分の友人との縁を切るというのであるから。
 
 よほどの正義感がないことには、とてもできないことである。
 
 「なっかん」も正義の味方である。


 なぜヒーロー(英雄)なのか?

 いじめられている人をいじめから救ったのであるからヒーロー(英雄)である。
 
 ただし、ヒーロー(英雄)と思ってくれるのは、その助けられた人ひとりだけである。 

 他の誰もがそんなヒーロー(英雄)がいたことも知らないのである。


 あなたには二人のヒーローが現れるかもしれない。
 
 「まーさん」だけ現れるかもしれない。

 「なっかん」だけ現れるかもしれない。

 二人とも現れないかもしれない。


 しかし、あなたは誰かのヒーローになれるかもしれない。

 いじめはあってはいけないものだと思う。

 いじめにあった本人しか、そのつらさはわからないと思う。

 いじめを無くすためには、あなたは誰かに伝える勇気を持たなくてはいけない。

いじめられている子どもたちへ 第三話

 いじめは犯罪です。

 たたかれたり、けられたり、なぐられたり、なんらかの暴力をふるわれたりしたら、それは傷害罪または暴行罪です。

 あなたが傷を負ったらそれは傷害罪であり、傷を負わなかったとしても暴行罪です。

 暴力をふるわれなかったとしても同じです。

 学校内だからといって許されるわけではありません。

 学校は治外法権ではありません。

 将来があるからといって罪を犯した者が守られる場所であってはなりません。

 いじめをしている人は罪を犯していることに早く気づくべきです。

 相手が傷を負わなかったとしても、精神的な傷は外からではわかりません。

 自分がいじめをしていたと気づいた人は早くやめるべきです。

 今なら間に合うかもしれません。

 相手またはその親に、警察に被害届を提出されたり、損害賠償を請求されてからでは遅いのです。

 親にも迷惑をかけます。

 「自分は悪くない、他の人もやっていた。」では通りません。

 悪いか悪くないかを決めるのはあなた自身ではないのですから。

 あなたがいじめを受けていることを学校や教師、両親に伝える勇気も必要です。

 はずかしいことではありません。

 悪いことでもありません。

 今以上に強くなってください。

いじめられている子どもたちへ 第二話

 いじめはなぜ起こるのでしょう?

 多くの人の心の中にある優越感からでしょうか・・・

 この子は自分より劣っている。
 
 俺の方が優れている。

 私の方が優れている。

 俺の方がけんかが強い。

 この子は弱い。

 俺の方が力が強い。

 私の方が勉強ができる。

 この子は勉強ができない。

 私の方が足が速い。

 この子は足が遅い。

 こいつが気に入らない。

 この人が気に入らない。

 生意気だ。

 ・・・・・

 経済的な差を意識する人も多いでしょう。千差万別である。

 知らない内に目の前にいる人、近くにいる人と自分を比べているのかもしれません。

 物事のものさしが自分になっているのです。

 ではいじめられている人は何か悪いからでしょうか?

 悪くはありません。

 力が弱くても、勉強ができなくても、足が遅くても、けんかが弱くても、スポーツが不得意であっても・・・決して悪くはありません。

 あなたは何も悪くないから、あなたには胸を張って生きてほしい。

 「和をもって貴しとなす」という言葉があります。

 善し悪しだと思います。「みんなでいじめればこわくない」というのはその悪しき例だと思います。

 私としては、いじめ問題について考えるときは個人主義的な考えの方が好ましいと思う。
 
 後述する「二人のヒーロー」は「自分は許せない」という気持ちを尊重し行動したのだろうと思う。

 (続く) 

いじめられている子どもたちへ 第一話

 誰かに伝えたい。
 
 でも、伝えることができない・・・

 それでは悲しすぎます。

 あなたの心の叫びを聞きたいと思っている人はきっといるはずです。

 あなたの気持ちを誰かに伝えてください。

 いじめに耐えているあなたは、きっと強いはずです。

 そう信じています。

 あなたがいじめを受けている場合 どうしたらいいでしょう?

 いろいろできるかもしれない。何もできないかもしれない。

 だけど我慢もしてください。

 我慢だけでもだめです。行動もしてください。

 どうしても我慢できない場合は親に「転校したい」もしくは「いじめにあっている」と伝えてください。

 決して、途中で笑ってごまかしてはいけません。真剣に伝えてください。
 はぐらかさずに最後まで真剣に伝えてください。

 親に心配をかけること、迷惑をかけることを気にしないでください。

 怖がらないでください。それが勇気です。

 親は友達よりも、先生よりも、誰よりもあなたの味方です。 

 他の何も言わなくても親はその一言ですべてが理解できるはずです。

 親に言うということは卑怯なことではありません。
 
 親に言わないことが格好良いことでもありません。 

 自分一人で解決することが格好良いことでもありません。

 誰かに頼らないといけないことは大人であってもあることです。 

 「転校」というのは逃げることではありません。環境を変えることです。

 あなたがいじめられているのは、あなたが悪いから?

 決してそうではありません。あなたはまったく悪くありません。

 できあがってしまった環境に何かのきっかけでいじめが起こってしまいました。

 「転校」という環境が変わることによって何かが変わるはずです。

 いじめを受ける前の元の自分に戻るための転校です。

 いじめはなぜ起こるのでしょう?

 多くの人の心の中にある優越感からでしょうか・・・

(続く) 
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